大学院の研究では、台湾の少数民族の言語の調査を行うため、台湾を何度も訪問しました。
台湾で調査協力者のおじいさんと
教育関連でいうと、大学院時代は進学予備校・早稲田アカデミー高校部において英語講師として勤務しました。勤務初年度から基礎コース~東大を目指す特進コースまでを幅広く担当します。また、同時期に家庭教師としても働きました。
さてその後、博士課程に進学し、さらに一層研究活動に励みます。
東京大学卒業式
国際学会での発表のため、必死で英語のスピーキングとリスニングを勉強し、不自由なく英語でプレゼンができるようになりました。
(当時参加した主な学会:11th International Conference on Austronesian Linguistics, Association for Linguistic Typology 9th Biennial Conference など)
フランスで行われた学会にて
しかし、根を詰めて勉強をしすぎたこと、さらに台湾での調査のストレスや言語学という分野の研究手法に対する疑問も加わり、めまいなどの体調不良に悩まされるようになります。
一時は日常生活を送るのも困難なほど体調が悪化。静養を余儀なくされました。今思い出してもつらい体験です。
静養中、色々と深く考えました。そして、これまでお世話になった無数の人に恩返しがしたいという思い、地元広島に貢献したいという思いに目覚めます。
そして、自分を人の役に立てたい、人を喜ばせるような仕事をしよう、と決意。体調もある程度回復し、大学院に一つの区切りがついたところで広島に戻り、妻と一緒にスクール今西を開校します。
そして今は大学院時代から継続している言語学の研究と並行して、より良い外国語教育を広島の地に根付かせるために奮闘中です。