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今西未帆先生ってどんな人?②

Miho先生ってどんな人?①のつづき

転機は中学生の時にやって来ました。
部活ではトランペットをひたすら吹き、ピアノはぼちぼちといった頃。
親の知り合いのお嬢さんのピアノリサイタルへ行ったのですが
後日、そのピアニストが私の実家へ来て、目の前でピアノを弾いてくれたのです。

その日の事は今でも忘れられません。

電撃が走り、ピアノってカッコイイんだ!
と、初めて感じた瞬間でした。

そこからピアノをがむしゃらに弾くようになりました。
楽譜もまだ上手く読めていなかったけれど、気持ちだけは十分でした。
高校からは大学へ入る為に教室を変え、しっかりと基礎を叩き込まれました。

恩師にはエリザベト音楽大学へ入りたいならトランペットに転向しなさいと勧められ(後日談では、エリザベトに入ったら、他の上手い人との差を感じてダメになると)
私は、ピアノを勉強したいんだ!!!という熱烈なアピールで志望大学はエリザベトでなく、広島文化短期大学になりました。(現:広島文化学園大学)

そして短大の上にある、音楽演奏専攻科へ進み
学位授与機構から無事、芸術学・学士を頂きました。

その後、音楽教室へ就職しましたが、留学の夢を諦めきれず
音楽留学の準備の為に退職し、練習に励み
ペトロフピアノコンクールで奨励賞を受賞し、勢いをつけ…

25才の時に、ドイツのハンブルク音楽院へ留学。

ドイツでは勿論、すべてドイツ語でレッスンを受け
音楽理論の面白さにハマリ、ゴシック建築にハマり
演奏、練習、レッスン、試奏、コンサートの毎日に明け暮れました。
特に、ハウスコンサートと言われる少し大きめな家で演奏する機会というのは
本当に良い経験になりました。


帰国後は個人でピアノ教室を営みながら
ドイツ時代の友人と2台ピアノコンサートを
東京・熊本・広島をツアーで開催しました。

定期的にクラシックコンサートを行いつつ、高校時代の親友と
ポップスデュオMULEを結成し、ライブ活動もしていました。

そして、ドイツ時代に知り合った主人と結婚し、東京へ居を移し
グランドピアノを持参出来なかったので、キーボーディストとして成長出来るのでは?!
と、思い切ってロックへ挑戦!

NOSEという結成10年を向かえるバンドに参入し、精力的に新宿、下北沢を中心に活動し
その他バンドのサポートミュージシャンとして都内各地で演奏をして回っていました。
活動中にも都内の2カ所の音楽教室で講師として働き、いろんな人と交流し
非常に濃い青春とも言える日々を過ごします。

そんな中、主人が言語学の研究によるストレスで体調を崩し、地元広島に帰郷することが決まり
いつかは、、と夢みていた教室を2人で立ち上げる事になりました。

元々広島でピアノ教室を運営していたので、再び広島の地で
ピアノ・ボーカルに関わる仕事が出来る事に大きな喜びを感じると共に、
英語学院の教室長として人の成長のお手伝いが出来る喜びを感じています。

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at 2013/11/18 21:48:43